60歳過ぎてもライブハウス通いが止まらない、かっこいいインディー・ミュージシャンのライブ写真撮影に精出すおばさんロック・フォトグラファー。機材は1970~80年代のオールドレンズ、コンタックス/カール・ツァイス。時にはライカ。最近ニコンも使うけど、AFもAEも最新機能は信用せず、マニュアルモード一本やり。老眼かすみ目つらくても、今夜も腕っぷしでがんばるよ!
25 April, 2013
Penguin, 20 Apr 2013
オース!
バタヤン(田端義夫)が亡くなったね。
なぜここで話題にするかって? ものごころついてテレビで最初に知ったギタリストだもん。
昭和は遠くなりにけり、かな? いやいや。「死んでも歌(うと)てま!」 だってさ。
Penguin live at Maple House, Gakugei-daigaku Tokyo, 20 April 2013.
- 高橋マコト Macoto Takahashi (guitar/vocals)
- 大浜和史 Kazufumi Ohama (bass)
- 樋口晶之 Masayuki Higuchi (drums)
- 大久保治信 Harunobu Okubo (keyboards)
Using Carl Zeiss/Contax Planar 50mm/F1.4 single focal lens with Sony NEX-7 APS camera.
All photo copyright © 2013 Megumi Manzaki.
155 photos taken by Megumi in this session available.
http://www.flickr.com/photos/megumi_manzaki/sets/72157633295497946/
15 April, 2013
100 FEET, 08 Apr 2013 - ポートレイト
100 FEET acoustic live at Outbreak, Yotsuya Tokyo, 08 April 2013.
- 大井貴之 Takayuki O.E. (guitars/vocals)
- 上田周一 Shuichi Ueda (djembe)
大口径レンズ Contax Planar 85mm/F1.2 MMG (1992年ドイツ製)を昨年12月の購入以来、アコースティックライブの撮影に使ってみるチャンスがようやく訪れた。
このレンズ、ロックの描写には向いてなかったんでは?と思っていたら、やっぱり、アコースティックの方が描写がしっくり来る・・・。
というか、これで撮るべきは、 「人の顔」だったのだ。
ポートレイト。被写体は申し分ないのに、難しい・・・。
(このセッション末尾、写真の後に後日談とポートレイト私考あり。)
Using Carl Zeiss/Contax Planar 85mm/F1.2 single focal lens with Sony NEX-7 APS camera.
All photo copyright © 2013 Megumi Manzaki.
62 photos taken by Megumi in this session available.
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ポートレイト向きのレンズで撮るにしても、ライティングがものを言う。顔の正面からベタッと照明が当たる時は最悪だ。ライブハウスのステージは、いろんな角度からいろんな色と強さの照明が当たる。しかもめまぐるしく変わる。店側のエンジニア任せで撮る側ではコントロールできない。
(ステージ照明のままならなさについては、“巨匠”木村伊兵衛も 『前進座舞台写真集』(研光社 1966年)の巻末、自身もカメラ好きだという河原崎長十郎らとの対談の中で、「意地悪い」「写真屋泣かせだ」とさんざん愚痴っている。ハハハ・・・)
今回は照明の当たり具合のタイミングを選んで、良い光が来たなと思った時だけシャッターを押すようにしてみた。・・・そういうことも、写真学校行ってないし誰も教えてくれないから、自分で経験積むまでわからなかった。
ロックのステージでは、被写体の動きや表情が「ここぞ!」という時、光の状態が悪くても、どうしてもシャッターチャンスを逃したくないという気持ちが先行してしまう。その点、アコースティックの方が落ち着いて撮れる。
「ポートレイトが撮れるようになりたい」と、まじめに考えるようになった私は、「肖像 視線の行方」という写真展の開催初日に行ってきた。(東京工芸大学中野キャンパス内 写大ギャラリー、2013年4月15日から6月9日まで。)
ロベール・ドアノーの「ピカソ」、ユースフ・カーシュの「ヘミングウェイ」、土門拳の「志賀直哉」、「川端康成」、「升田幸三」、木村伊兵衛の「高峰秀子」、田沼武能が撮った「木村伊兵衛」・・・。そういった肖像写真の古典ともいうべき有名な作品をもまじえて、白黒のオリジナルプリントで約40点。静寂な小部屋にほとんど私ひとり、独占状態で1時間ほどかけて対面してきた。
また2月初めには、アーネスト・サトウ写真展「Light and Shadow」(浜松町 ギャラリー916)で、吉田茂、フルシチョフ、田中角栄、大鵬、カザルス、バーンスタイン、小野洋子・・・、さらに多くの著名人のポートレイトも見た。
土門拳(1909-1990)は、ポートレイトについてもこんな難しいことを書いている。(『フォトアート』1957年/『写真作法』 ダヴィッド社 1976年)
プロは私的関係に発して撮ることはない。つねに必ず社会的な理由に発して、特定の個人を対象とし、その社会的な理由に裏打ちされてカメラアングルなりシャッター・チャンスなりを決定して撮る。そしてその特定の個人の風貌なり行動なりを撮ることによって、今日の時代の一つの主題なり傾向なりを代表する一人の小説家、美術家、政治家、科学者というものを浮彫りする。それは特定の個人なり個性をとおしてよりおおきく広い集団や思潮を象徴する任務を持つ。あるいはその人にも見られると同時に君にもぼくにもある普遍的な人間性をえぐりだすという任務を持つ。
・・・(中略)・・・もし優れたポートレートを撮ろうとするなら、アマチュアといえども・・・(中略)・・・自分の奥さんやこどもを対象としても、一切の私的感情をはなれて、客観的に突放してみるだけの眼を持たなければならない・・・(中略)・・・つまり夫として父としてではなく、一個の写真家のものとして対決するのである。
土門拳は、晩年、「もう撮るに足る人間はいない。花を撮りたい。」と言い始めていたという。(3度めの脳卒中で1979年に倒れて目覚めぬまま、1990年に他界した。「晩年」とはその最後の発作の前のこと。)
被写体が仏像であれ人であれ、その正面に大判カメラを据え、「威圧的で重々しい“写真作法”によって」、土門は自身の激情とエネルギーを1枚の写真に写し込めようと挑みかかったらしい。「だから肖像写真を撮る場合、相手がその作法に応ずるに足る一流の人物であり、撮られるのを嫌がる人であればあるほど、対決の成果には満足いく手応えがあったにちがいない。」(引用は 三島靖 『木村伊兵衛と土門拳 写真とその生涯』 平凡社 1995年 より)
「撮るに足る人間はいない」なんて、そんなこと、少なくとも私には死ぬまでありえないと思う。だいいち被写体と「対決」など、私にはほとんど無理。どちらかといえば、寄り添って撮りたい。
撮るに足る人間かどうかは、被写体についてではなく、まず、撮らせてもらう私の側が問われるのだと思う。
もしライブよりも写真の方に興味をお持ちでしたら、ライカの巨匠 木村伊兵衛のポートレイト、舞台写真についてもお読みください。写真よりもライブの方に興味をお持ちなら、ライブハウスに足を運んでね!
締めは、最近読んだ 荒木経惟 『いい顔してる人』 (PHP研究所 2010年)から、アラーキーのこの名言!
何かにかけているときの顔は美しいよ、ドキッ!
美男美女なんてものを軽々と超えた美しさだ。
逆から言えば、一生懸命にやっていて顔が美しくならないなら、
その仕事は向いてないってことなんじゃないの。
VAKKYA JENCO, 08 Apr 2013
VAKKYA JENCO live at Outbreak, Yotsuya Tokyo, 08 April 2013.
全然知らないバンドだったが、こんなふうにとんがった子たちに出会うと、「撮っておきたい」という衝動が抑えられなくなって、一度片づけたカメラをまた引っぱり出した。
Using Carl Zeiss/Contax Planar 85mm/F1.2 single focal lens with Sony NEX-7 APS camera. Pictures processed.
All photo copyright © 2013 Megumi Manzaki.
42 photos taken by Megumi in this session available.
http://www.flickr.com/photos/megumi_manzaki/sets/72157633203742200/
12 April, 2013
The Shepherd's Bush Irregulars, 06 Apr 2013 - 春の嵐
The Who tribute band The Shepherd's Bush Irregulars live at ShowBoat, Koenji Tokyo, 06 April 2013.
爆弾低気圧の通過で「不要不急の外出は控えるように」と呼びかけが出た夜。
Using Carl Zeiss/Contax Planar 85mm/F1.4 single focal lens, Planar 50mm/F1.4 single focal lens, Planar 100mm/F2 single focal lens with Sony NEX-7 APS camera.
All photo copyright © 2013 Megumi Manzaki.
140 photos taken by Megumi in this session available.
http://www.flickr.com/photos/megumi_manzaki/sets/72157633188233142/
03 April, 2013
ライカの巨匠 木村伊兵衛
木村伊兵衛(1901-1974)について、写真に興味をお持ちの方には何の説明も要らないだろう。私こそほとんど知らず、教えていただかなければならない。
曰く、スナップ写真の名人、深追いはしない。巨匠ぶらず、「オツなもんですね」が口癖の、粋な江戸っ子。生涯ライカを愛用し、ライカを評して言った名言、「空気が写る」。女優のポートレイトを撮る時も、高級な仕立ての上着のポケットにライカ一台忍ばせ、助手も連れずに一人で出向いた・・・。重厚長大の土門拳との対照で語られることも多い。
木村伊兵衛の写真はあちこちに引用されるが、写真集などのまとまった形で見たことが、私、じつは一度もない。被写体をえぐるような、コントラスト強めの写真が好きなので、「ライカの木村」のやわらかな階調の、被写体への情愛に満ちたスナップ写真には、イマイチ財布の紐が緩むほどには心が動かなかっただけだ。
最近、ヨドバシカメラのポイントカード登録者に送られてくる宣伝誌に、「ライカの達人たち」という連載が新たに始まり、その第1回が木村伊兵衛だった。1929年8月、霞ヶ浦に降り立った飛行船ツェッペリン号の船長エッケナー博士の首に小さなカメラがぶら下がっていた、ニュース映画でそれを見た木村は翌年同じもの―ライカI(A)型を手に入れた・・・というエピソードも面白かったが、その後の木村のポートレイトの撮り方の詳しい記述に興味をひかれた。
それまでポートレートといえば、大型写真機と照明をセットし、静止したポーズで撮るものだった。それに比べライカの速写性と軽敏さは人物の一瞬の動きを生き生きと捉えてみせた。この写真展(1933年12月に銀座の紀伊國屋ギャラリーで開かれた文芸家肖像写真展)の直後に書かれたと思われるエッセイで、木村はそれまでのポートレートを「殆ど昔と変わらないでいる。吾々が家族の写真を出して見て、今の肖像写真と違う所を認めるのは、その風俗、流行の相違と焼付けのプロセスなどに過ぎない。(中略)現在広く行われている肖像写真は、如何にそれがしがない商売であろうとも、誠に気の抜けたビールのようなものである。乾板上にとどめられた生ける人形の姿である。魂の閃き出る写真の如何に少ないことだろう」と酷評する。そして、その原因は大型カメラにあると断言する。
「牛のようにのろい重々しい写場用カメラが瞬間的に閃き出る人間の個性なり性格なりを把握すべく、カメラマンの意思と神経のままに動くという事は殆ど不可能な事である。(後略)」
木村はこのポートレートを、当時最も明るかったF1.9のヘクトール73ミリレンズを愛用のライカII(D)型に付け、開放で撮影。被写体の近くには500ワットの電球を2個置いた。こうしてシャッタースピードを速くし、レンズ性能上ピントを合わせられる最短距離で被写体を捉えている。被写界深度が浅くなり、正確なピント合わせは困難であったが、木村はモデルとの距離を1メートルと決め、カメラでピントを合わせずに、シャッターチャンスを重視してモデルが前後した場合は、それにあわせて動くことにした。
それで初めて興味を持ち、『木村伊兵衛の眼・スナップショットはこう撮れ!』(平凡社 2007年)という入門書的な本を買ってみた。そして、報道写真家、肖像写真家、スナップ写真の名人として有名な木村に、舞台写真家という側面もあったことを知った。特に歌舞伎の六代目尾上菊五郎を撮った写真集が有名らしい。(まだ見たことはないが、『六代目菊五郎』 朝日ソノラマ写真選書17、1979年の本があるようだ。)
六代目菊五郎の舞台写真は1934年に鏡獅子を撮影している。本格的に撮影にかかったのは、36年からで39年まで続いた。3千枚を超えるコマ数を撮っている。写真は後世に残るからと非常にうるさかった六代目が、「自由に何処からでもお撮り下さい」と全面的に開放したことは、木村の信頼がそれだけ厚かったからに違いない。また、この本の最後の方のページで、『木村伊兵衛と土門拳 写真とその生涯』 (平凡社 1995年/平凡社ライブラリー 2004年)の著作がある三島靖という人が、「江戸っ子カメラマンの72年」を概観して以下のように述べている。
舞台写真の名手であった木村は、何を撮る場合でも、あえて “間” に向けてシャッターを切っていたのではないか、ということである。いわゆる “決定的瞬間” ではなく、むしろ幕間にこそ事物の輝きが存在するかのように。 (中略)
晩年の対談で、子どものころは芸者の荷物持ちか役者になりたかったという話題になったとき、木村はこう語っている。
それらはみんな煮つめていきますと何か自分のからだで表現したかったということなんですね。役者もからだの表現ですよ。ハナシ家も、自分のからだの表現ですよ。ところがそれがやっぱしうまくできないんですよ。できないから、それで写真をやろうと思った。写真というのはたとえば人さまのからだを撮って、自分の感じるままのからだの表現をしてみたい、理屈じゃなくて、何か、そういうものがあるんじゃありませんかしら。(「アサヒカメラ」1970年9月号)
私も自分を表現してみたいから、ステージ写真、ライブ写真で「人さまのからだを撮って」、夢中になっているのかもしれない。ライカのレンズは(夫がライカ好きで家に何本もあるが)私使わないけれど、この点でちょっとだけ、ライカの巨匠・木村伊兵衛に親近感を覚えた。
【2週間後の追記】
その後、三島靖 『木村伊兵衛と土門拳 写真とその生涯』 (平凡社ライブラリー)を買って読み始めたところ、上記で引用したヨドバシカメラ宣伝誌「ライカの達人たち」の記事は、ほぼこの三島靖の著書に依拠していたことがわかったので、書き添えておきます。
また、木村伊兵衛の六代目菊五郎の写真について、三島靖の上掲書に詳しく書かれていて、ライブ写真を撮る上で私にはとても興味深かったので、ちょっと長い引用になりますが、ここに追加しておきます。
では、彼ら(木村伊兵衛と土門拳)が戦前~戦中に熱心に撮った写真に、後年傑作とうたわれたものがあるのだろうか。舞台写真が、よく知られた例だろう。木村の歌舞伎、土門の文楽。・・・(中略)・・・現在のような感度のよいフィルムがなく、舞台照明だけで撮影するのが容易でなかった時代の写真であり、しかも写っているのは舞台という現実を模倣した空間にすぎないのに、歌舞伎俳優や人形が、みずみずしい生命力をほとばしらせながら目に迫る。・・・(中略)
実は、菊五郎は大の写真ファンであった。・・・(中略)・・・話題になりつつあったライカと当時としては感度の高いフィルムの出現で比較的手軽になった舞台撮影のマイナス要素を意識していたのだろう。役者がカメラの前でポーズをとってみせるそれまでの撮影と違って、本番の演技が、演ずる者の気づかぬまま記録される――撮影許可を求めようとする木村自身も感じていた「往々にして見受けられる撮影者の芝居に対する知識の不足から、その役々の本質を没却した写真を撮ったものが多く出るという弊害」に、菊五郎は神経をとがらせていたに違いない。息子の九朗右衛門の橋渡しもあってなんとか撮影は許可、となったものの、木村が撮ったフィルムのコンタクトすべてに菊五郎自身が目を通すことになった。
ところが、「そこで六代目が密着を見ているうちに、『こりゃあうめえ。面白えや』ってことになった」というのは、このとき木村の助手をつとめ、のちに歌舞伎撮影の第一人者となった写真家・吉田千秋だ。・・・(中略)・・・
菊五郎からは以後も、踊りを撮るなら足が画面から切れないように、などという注文が続いた。もともと芝居好きの木村は、この名優との共同作業を通じて、たちまちにして歌舞伎撮影のベストアングルをつぎつぎと身につけることができた。ただ、菊五郎がよしとしたカットから撮るべき瞬間をより緻密に学び感じとりながらも、たとえば「見得」ばかりを撮り集めるような、歌舞伎を型からとらえて記録する撮りかたはしなかった。歌舞伎の解説写真を撮る記録者であるよりも、むしろ演技の流れに身をゆだねながら自然にシャッターを切ってしまっているような木村の意識に共感しながら、今日それらの写真は見ることができる。同時にその共感は、木村と席を同じくする観客の視線と興奮にもっとも近いものだ。・・・(中略)・・・
「あんな時代(1937=昭和12年前後)で感材も入らなくなってきてたし、感度もまだまだ。露出計なんて見る人じゃないから技術的にも大変だった。そんな中で、押さえるところは押さえ、また微妙にはずす。ああいう写真は知りすぎるとかえって撮れないものだ」
と、さきの吉田はいう。歌舞伎の舞台や舞台裏を、最新の機動性ある写真カメラで撮影できるという、当時としては貴重な機会だが、木村はその撮影を通じて、「知りすぎ」ようとは決してしない。あくまで「菊五郎の持つ芸の深さを、写真でみても納得出来る最大公約数的なものを作る」という姿勢であった。木村は、尾上菊五郎という人物の記録でも歌舞伎の紹介でもなく、「菊五郎歌舞伎」の全盛を見ている者の興奮を撮りきっていたのである。
・・・(中略)・・・
ある人形遣いの回想に、土門らの名をあげて「あんなに毎日きてて、自分の仕事がすむとパタとこん。写真のお人なんて、そんなものかいな」とあるのを見た。たしかに木村も土門も舞台撮影をのちの仕事のすべてにしてはいない。が、現在歌舞伎や文楽を撮っている写真家も第一級と認める作品を残している。
・・・(後略。土門拳の文楽の撮影についてはまた別の機会に。)
――三島靖 『木村伊兵衛と土門拳 写真とその生涯』 (平凡社ライブラリー)より
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