先日、76歳のパンク写真家 松下弘子さんのことを書いたので、今日はついでに、アメリカの著名な女性フォトグラファー アニー・リーボヴィッツについて、私自身が7~8か月前にロリーギャラガーサイトの中で触れた小さなノートを、ここに書き写しておこうと思います。
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遅まきながら最近DVDで、アニー・リーボヴィッツのドキュメンタリー(Annie Leibovitz: Life Through a Lens, 2007)を見た。
1949年生まれのアニー・リーボヴィッツは、1970年代、ロックバンドのツアーに同行し、バックステージに密着し、リハーサルに押しかけ、日常に入り込むことで、虚飾を捨てた無防備なスターの姿をカメラに収めることに成功し、衝撃的な表紙でRolling Stone誌を一流に押し上げた。ヨーコ・オノをして「彼女は魂を撮りたがっていた」と言わしめた。写真家の人生とは、レンズを通して見る人生だ、と断言した。
スターや著名な人物のスナップにも、無名の人々のポートレートにも、アニー・リーボヴィッツの仕事には、感動的な人生が写っている。
私は50歳過ぎてから、ライブハウスの暗がりでつかの間スポットライトを浴びる、インディー・ミュージシャン達の写真を撮り始めた。
写真技術を学んだことも教わる気もなく、まったく自己流の私だが、熟達した写真家がメジャーシーンのアーティストを写したプロフェッショナルな仕事を見るのは、特に70年代ロックミュージシャンの写真を見るのは、大好きだ。勉強にもなる。
ロックミュージシャンの日常に入り込んで彼らと同じ空気を吸い、見るものすべてレンズを通して見る人生だという、アニー・リーボヴィッツのような写真家の人生には心底感服する。
だが今さらそれを真似しようとは、私は思わない。
レンズを通して世界を眺め、フィルムと印画紙によって世間と交わる、写真家という生き方。
そのレンズの先に存在するのは、歌と楽器によってしか自分を伝えるすべを知らない、ミュージシャンという生き方なのだ。
ミュージシャンとオフステージで友達になってその人柄や日常を知ったり、生い立ちや音楽的履歴を聞き出したりすることも、あるいは被写体をより深く理解する一助にはなるだろう。
だが、「自分の好きなこと(音楽をやること)しか考えないで、これまで生きてきちゃった・・・」と話すミュージシャンが目の前にいて、その彼に音楽以外のポーズを要求したり、オフステージのプライベートショットを「ものにする」ことに、いったい何の意味があるだろう?
ミュージシャン、特にライブミュージシャンは、リハーサル室や日常的な生活の場ではなく、ブログやツィッターでもなく、ステージ上でこそ自分本来の姿をさらけ出す。それがミュージシャンというものではないだろうか?
ミュージシャンの魂を写したければ、ステージ上で探すべきなのだ。・・・と、私は思う。
だから私は、ステージ上のミュージシャンにレンズを向け続けてみたい。しばらくは客席からのステージ写真にこだわってみよう、と思う。
( www.ne.jp/asahi/checkerandblues/rory/ - "musicians in the shadow", March or April 2012 )