Rory Gallagher tribute band O.E. Gallagher live at Crawdaddy Club, Shinjuku Tokyo, 14 June 2014.
- Takayuki O.E. (guitars/harmonica/vocals)
- Naomi Watanabe (keyboards)
- Hironori Kagawa (bass)
- Shuichi Ueda (drums)
On the 19th annual memorial night of Rory Gallagher (1948-1995).
The set featuring keyboards also tribute to pianoman Lou Martin (1949-2012).
Using Carl Zeiss/Contax Planar 135mm/F2 single focal lens with Sony Alpha ILCE-7 35mm full-frame camera. Private shot after the show using Leica X2 APS-C compact camera.
All photo copyright © 2014 Megumi Manzaki.
Set list:
- Moonchild
- Do You Read Me
- Tattoo'd Lady
- A Million Miles Away
- They Don't Make Them Like You Anymore
- All Around Man
- Banker's Blues
- Unmilitary Two Step
- Out On The Western Plain
- Barley And Grape Rag
- Too Much Alcohol
- As The Crow Flies
- Daughter Of The Everglades
- Edged In Blue
- I Take What I Want
- Souped Up Ford
- Bad Penny
- Bullfrog Blues
95 photos taken by Megumi in this session available.
https://www.flickr.com/photos/megumi_manzaki/sets/72157645132763386/
After the show......
ロリーが出演したロンドンのTown & Country、1992年10月29日のライブは、多くの人々の眼に悲しい光景として焼きついた。シングルでたった1杯のブランデーが服薬中の体内で悲劇的な異変を引き起こしたため、ロリーはステージ上で立ち往生した。だが、それを見た人々はロリーは泥酔しているものと悪罵を浴びせた。この出来事以降、ロンドンでロリーのライブが行われることはなかった・・・。(コリン・ハーパー「か細い男のバラッド」より。末尾に原文引用)
肝臓移植後の合併症で47歳の生涯を閉じたロリー・ギャラガーの、今年で19回めの命日トリビュート終了後の出来事。
複数の持病で常時数種類の薬を服用している私は、ウィスキーをシングルでたった1杯、それからダブルで1杯飲んで、急性アルコール中毒になって泥酔した。普通なら許容量内だったはずだが、やはり薬のせいで肝臓が手いっぱいだったのか・・・。いや、薬を飲みながらの飲酒は控えるべきだとわかっていたはずで、弁解の余地はない。ロリーが風邪気味の体を温めるために開演直前に飲んだ a single brandy が文字どおりシングル1杯のブランデーなら、私はトリビュート終了後の短時間にその3倍の量のウィスキーを氷で冷やして流し込んだ。血中アルコール濃度が一気に上がり、ほろ酔いも酩酊も飛び越していきなり泥酔状態に陥り、店にもバンドにも迷惑をかけた。サイテーな女だ。
最初のうちは何ごともなく、グラス片手に立ち話していた客の誰か(申し訳ないが誰だか憶えていない)が帰る時、バンドの友人たちと一緒に地階の店から階段を上がって外まで見送りに出た。店内に戻ろうかと振り向いた瞬間、もつれた足が勝手に階段に向かって進み始めた。友人の「危ない!」という声が聴こえ、自分でも「今の私は一時的に酔いが回り、このままだと足を踏み外しそうだから立ち止まらなければ・・・」と焦って壁にしがみつくのだが、私の意思に反して私の体は吸い寄せられるように階段のてっぺんから下の暗がりに向かって前のめりになった。上から下まで一直線のブロックタイルの段を数段とばしに落ちながら、眼はちゃんと揺れ動く壁や天井を見ていた。あとで「まるで『蒲田行進曲』の階段落ちだった」と言われた。一気に地下まで来て止まった時、私は「びっくりさせちゃった、カッコ悪ーい」などと照れ笑いしながらすぐさま立ち上がろうとしたが、もう自力では立てなかった。駆け下りてきた友人が「頭を打ったけど大丈夫?」と言うのだが、どこも痛くはなかったので「頭は打ってない。」と言い張った。(それから24時間も経ってから、お風呂で洗髪しようとして後頭部にコブが3つほどできているのに気がついた。)
友人に支えられて店内に入り、椅子席に着いてテーブルに突っ伏した。少し休めば終電に間に合うと思っていたが、やがて「間に合わないな」と冷静に思い直した。残っていた客がほとんど帰っても、店内に流れるロックが聴こえていた。バンドを含めて男女4人の友人が私のために居残ってくれているのがわかった。意識はあって、理性も多少あって、迷惑をかけたくないという思いはあって・・・、でも体が全くいうことをきかない。「みんなゴメンね。」「こういう時はあまえていいんだから。」優しく言ってくれた友人は私よりひと回り歳下だったが、私は頷くしかできなかった。ソファに仰向けに寝かされ、お店の人がおしぼりを持ってきてくれ、体温が下がるのを心配した友人たちに男物の長そでを着せてもらった。「水を飲んで吐いた方が楽になる。」「トイレに行ってみようか。」と促されても、上半身を起こす気力が振り絞ってもどうしても出ない。だが自分でアイフォーンを取り出して仰向いたまま操作することは可能で、自宅の連絡先を見せながら、「でも夫は心配しないから、連絡しなくていい。」なんて、言ってることはやっぱり支離滅裂だった。
できるだけお店の迷惑にならないようにと、4人が気を配っているのがわかった。閉店を告げられても、私が立ち上がるどころか体を縦にするのも嫌がるので、いったいどういう図になっていたのか眼をつぶっていた私自身は皆目わからないが、私の体は仰向けのままふわっと抱き上げられ、階段を上がりきった所、ビルのエントランスの固い床に下ろされた。ただでさえ2時間15分の激しいライブをこなした後でクタクタなはずの友人たちに、ずっしり重たいセメント袋みたいな泥酔者を運び上げるという重労働をさせてしまい、もう私は一生彼らに頭が上がらない。
女性たちが時々手をさすってくれたのも、男性2人が救急車呼ばなくていいか相談していたのも、眼を閉じたままでもちゃんと聴こえていた。私がガタガタ震え始めたら、床からの冷えを防ぐために体の下にギターバッグを敷いてくれた。これがクッション材入りで暖かく、床に転がったまま低体温で動けない私は命拾いした。眼を開けて20分、上体を起こし壁にもたれて30分、立ち上がって、タクシーに乗れるほど回復するまでにトータル2時間ぐらいかかったが、真夜中の歌舞伎町の道端で、友人たちは私を見捨てずに付き添ってくれた。命の恩人だ。なのに私は起き上がって喋れるようになると、感情のたかぶりのままに、中のひとりに対し、他人に言われるスジではない私生活のことで説教した。言ったことに嘘も後悔もないが、それでも、酔っぱらいの説教なんて聞くに値しない。聞きたくなければ、立って私の傍らから離れ去ればよかっただろうに・・・。
中島らも(作家・劇団主宰・ミュージシャン)は2004年7月15日、三上寛のライブに行き、終演後に三上寛と酒を飲んで別れた後、神戸の飲食店の階段から転落して頭部を強打、脳挫傷で10日後に死んだ。奇しくも10年前のほぼ同じ時期の出来事。ライブの後、飲食店の階段、泥酔、転落・・・。ディテールの奇妙な符合は「ぞっとする」を通り越し、なんだか笑えてしまった。中島らもも持病があって副作用の強い薬を服用しながら、酒もマリファナもやめなかった。だが、皆に呆れられるような唐突な最期、あっけない死に方は、「かっこいい」というか、私はどこかで憧れていたようなフシがある。その場にいなかったバンドの紅一点に翌日メールでそれを伝えたら、「なんてこと言うんですか!死に方にかっこいいも何もないですよ。美学としてはあるかもしれないけど、残された人間にとってはそんなこと全く関係ない。ただ悲しさと悔いだけが残ります。」と叱られた。「こんなこと言うと嫌がるかもしれませんが、命日でお店に遊びに来ていたロリーが、きっと守ってくれたんですよ。」
無茶な飲酒を猛烈に反省した。57歳でそれはあまりにも遅すぎる。だが、60歳過ぎたら死んでもちっとも不思議じゃない、という考えは今も変えられない。バンドの皆それぞれの還暦ライブを見届けるのは、私にはとてもじゃないが無理だ。その一方で私は、彼らがどんな熟年ロッカーになるか、枯れたブルースマンになっていくのか・・・。彼らが歳とるまで私もできるだけ生きてカメラにしがみつき、その老いの過程を撮り続けてみたいとも願っている。それならば、薬を飲んでのお酒は当分自粛だろう?と自分で自分を説得してみる。
そのかわり、今度誰か私の友だちが酔いつぶれたら、ずっと付き添って介抱するよ。
The one notorious show that has sadly coloured many people's views on Rory took place at London's Town & Country Club on October 29, 1992. A single brandy reacted tragically with his medication and Rory simply fell apart on-stage. It would be his final London gig. "People accused him of being drunk," says old friend Dave Pegg of Fairport Convention, "and I got upset about that. He wasn't that sort of person. He wouldn't do it to himself, let alone an audience that had paid to see him. He was one of the few people you meet in the music business where the punter is the prime concern. He may have appeared to be drunk but he was seriously ill."
------ 'Ballad of a thin man' by Collin Harper, Mojo, Oct 1998 issue