07 February, 2015

報道カメラマン 福島菊次郎


06 Feb 2015


 最近シェルターからもらい受けた日本犬を飼い始めたので、思わずこの本を「ジャケ買い」したが、内容はあまりに重い。
 福島菊次郎 『写らなかった戦後  ヒロシマの嘘』 (現代人文社 2003年)
 写真は表紙の1枚だけ。アマチュア時代の福島菊次郎が撮った、広島の被爆者中村杉松さんと飼い犬ポチの最後の写真だ。生活保護を受けながら犬を飼っていることが問題にされ、保健所が連れに来るという朝、逃げのびさせようと中村さんが何度追い払っても逃げようとしないで、涙にくれた中村さんの顔を舐めにすり寄ってくる。この写真を写した直後ポチは「犬捕り」に連れ去られた。福島菊次郎は1960年に写真集『ピカドン』を発表したが、最後まで迷って彼はこの1枚を外したらしい。写真集を見るたびに中村さんがポチを思い出して悲しむだろうと・・・。中村杉松さんは原爆病院での治療も受けられないまま、病苦と差別と極貧と家庭崩壊の悲惨の中で、1967年に死亡した。
「ピカにやられてこのざまじゃ。このままじゃあ死んでも死に切れん。あんたぁわしの仇を討ってくれんかのう」
「わしの写真を撮って世界中の人に見てもろうてくれぇ。ピカに遭うた者がどれだけ苦しんじょるかわかってもろうたら、わしも成仏できるけぇ頼みます」。
 中村杉松さんにそう言われて福島菊次郎は覚悟を決め、困窮する一家を十年以上にわたって撮り続け、国と行政の非情と不正を告発する報道カメラマンの道に踏み出した。だが告発のためには個人の領域に土足で上がり込んでレンズを向けるという、人権ドキュメンタリーとプライバシー侵害の二律背反の葛藤に人一倍悩み、『ピカドン』で日本写真批評家協会賞(特別賞)受賞の後、ストレスで精神病院に入院した。

 この本の終章、「カメラは歴史の証言者になれるか」、そして「カメラは武器になるか」・・・・・・。
 自衛隊と兵器産業告発の写真を撮って、自衛隊関係者の仕業と本人が疑う「テロ」(脅迫、盗聴、暴行、自宅放火)に遭いながらも、32誌に260頁を発表したという(同書)。1970年代のことだ。国家の犯罪を総合誌に載せて告発したい出版社と、国家の犯罪を知りたい読者大衆が、その時代はそれだけいたのだ。日本国外務省の3度の警告を無視してシリアに入りISISに拘束殺害されたとみられる後藤健二さんが、リスクを負っても平和を希求したゆえの殉職だったと、その崇高な志が欧米のジャーナリスト達、そして日本人にも称賛されるに至ったのと違って、同じ映像派のフリー・ジャーナリストでも、90歳過ぎてなお現役の報道カメラマン福島菊次郎ははっきり言って反体制ジャーナリストだ。今の流行で言えば偏向ジャーナリストでもある。「報道とは個人の視点を伝える営為で、国家の暴力や不正を監視、告発するのがジャーナリストの使命である。」と言い放つ(同書まえがき)。「国益を損なう」とか「売国奴」とかの言葉でジャーナリストを罵るのは国家の側であって、ジャーナリストは国家権力や巨悪と闘う大衆の先兵と見られていた。1970年代のその頃から報道写真に興味を持ち始め、大学で自分の専攻ではなかった新聞学科の授業を何コマか取ったりもした私には――少なくとも私は、それが当たり前だと思っていた。だが今、ジャーナリストを目の敵にするのは時に出版社だったり、ネット世論だったりするこの状況はいったい何なのだろう?

 福島菊次郎が発表した報道写真のほんの一部が写真集『証言と遺言』に収録され、2013年 DAYS JAPAN から出版された。表紙は、発作で七転八倒する中村杉松さんを写した壮絶な写真だ。
 その写真集のまえがきに言う・・・・・・。
一枚の写真にも生命がある。一度使えば用済みになる写真はそれだけの命しかない。だが、百年前の写真でも見る者の心に衝撃を与えることがある。「死なない写真」を撮らなければならない。
報道カメラマンとして発した言葉だが、すべての写真ジャンルに通底する真理だ。



iphone photo 723: Last of an independent - Kikujiro Fukushima. 26 Sep 2015
2015年9月24日死去。