Eiichi Miyanaga (Chibi) drummer from legendary Okinawan band MURASAKI live at Crocodile, Harajuku Tokyo, 24 June 2018.
琉球の歴史を琉球語で歌うシリーズをソロで。だが沖縄慰霊の日翌日のこの日、演奏に先立ち、チビさんは語ってくれた。アメリカ統治下時代の1951年6月20日生まれの自分のルーツ、米軍基地に取り囲まれたコザBCストリートが戦後沖縄で最初に復興し、朝鮮戦争、ベトナム戦争と続く中で賑わった街であったこと、一口に米軍と言っても陸・海・空・海兵隊の4軍それぞれ、将校と兵卒、白人と黒人ではっきりと区別があり分断されていたこと、15歳で音楽の仕事に就いたこと、米兵相手の店で1日4~6ステージを毎日こなして腕を上げていったこと、下手な演奏をするとビンやグラスが投げつけられたこと、出撃が決まり「これで最後になるから、俺のために、頼む、あの曲を演ってくれ」と、荒(すさ)んでいた何人もの米兵の顔つきが変わっていくのを見たこと……。
紫の、チビのドラムの音を聴きに来たのであって、こんな長い昔話を聴きに来たのではない、という人も客席にはいたかもしれない。だが私は……70年安保闘争を挟んで小中学校時代を東京の米軍立川基地の隣で、大型輸送機のエンジン音と頭上のヘリコプターと、日曜毎のベ平連のデモと角材とヘルメットで武装した学生と機動隊の闘いを見ながら育った私は、ずっと沖縄の基地とロックと、コザ騒動のことも興味があった。2017年夏の旅行でコザに行き「沖縄市戦後文化資料展示室ヒストリート」という施設を訪れた時、案内に出てくれた方が若くて「米兵が夜間うろついてケンカするようなコザの街を私自身は知らない」というので、「ベトナム戦争当時の立川基地のゲート前は、Aサインの店(米軍相手の飲食店)は一部の裏通りに固まっていて、表通りの普通の商店街は夜7時過ぎると全店シャッターを閉めてしまい、9時ごろになるとその真っ暗な道をアメリカ人の酔っぱらいが大声で騒ぎながら歩くので、私達は怖くて夜は絶対出歩くなと言われて育った」とお節介にも話して聞かせてしまったりした。……私のコザへの興味は、自分がそんな子供時代を過ごした過去へのノスタルジー?でしかないのかもしれない。だが全島で事故や事件が絶えることない沖縄では、これは決して過去のことなんかではない。
政治家や学者やジャーナリストが資料を集めて沖縄を総括して喋っているのではない、これは自分がコザのBCストリートで、見たり聞いたり体験したりしたことを、今ここでお話ししているのだよ……と語るチビさんの瞳がとても綺麗だった。
Using Carl Zeiss/Contax Vario-Sonnar 28-85mm/F3.3-4 zoom lens, Vario-Sonnar 80-200mm/F4 zoom lens with Sony Alpha ILCE-7S 35mm full-frame camera. Development using Adobe Lightroom 6.
All photo copyright © 2018 Megumi Manzaki.
79 photos taken by Megumi in this session available.
https://www.flickr.com/photos/megumi_manzaki/albums/72157697855290014