THE BEGGARS live at Outbreak, Yotsuya Tokyo, 29 March 2015.
RAWデータから、白黒(グレースケール)とカラー、2種の画像を作って並べてみた。
ほんとは白黒写真とカラー写真、それぞれにふさわしいショットを個別に撮らなければいけないんだけど。
・・・どっちが好き?
Using Carl Zeiss/Contax Planar 135mm/F2 single focal lens with Sony Alpha ILCE-7 35mm full-frame camera.
All photo copyright © 2015 Megumi Manzaki.
Each shot processed into black-and-white and color pictures, expelimentally showing both.
13 shots (26 photos in b/w and color) taken by Megumi in this session available.
https://www.flickr.com/photos/megumi_manzaki/sets/72157651230120650/
私が白黒写真に走った理由は、まず第一に、5年前ライブハウスで初めてニコンのアマチュア用一眼レフで普通にカラー写真を撮ろうとして、まともに撮れないことを知ったからだ。もちろんライブ撮影5年間の経験で、露出をカメラ任せ(AE)にしないことを覚えた今なら、どんなカメラでも当時よりましなカラー写真が写せるハズだが、それでもなお、例外はあるがライブハウスのステージ照明って人工的な強い色(しばしば「とんでもない」色)のことが多いので、色調のコントロールが難しい。デジカメ以前の白黒フィルムからの慣れがあったので、マウントアダプター装着可能なミラーレス一眼レフの出現で昔愛用したコンタックス・レンズがまた使えるとなった時、懐かしい白黒写真の道を再び走りだすことに躊躇はなかった。
つまり、私にとって「色を手なずける」ということは、すごく難しいことなのだ。
色という情報の大きさに人間の感覚は圧倒されてしまい、物の形や光の反射度をちゃんと把握しないまま、見たつもりになりがちなのではないか?
ライブビュー・ファインダーという新しいカメラ・テクノロジーの恩恵もこうむっている。カメラ本体の撮影モードをモノクロに設定時はモノクロ(グレースケール)に変換された像がファインダーに映し出されるから、ファインダー越しに私の右眼はモノクロの世界を見ながら、リアルタイムで白黒写真用のシャッター・タイミングを探すことができるのだ。ファインダー越しに見えるのが裸眼の左眼で見るのと同じ普通にカラーの世界だったら、めまぐるしく赤から青へ、緑からピンクへと変化するステージ照明の色に幻惑されて、動き回る被写体の本当の姿、魅力的な一瞬を見逃してしまうような気がする。だから私は「スタンダード」(RGBカラー)で撮って後から現像処理時にモノクロ(グレースケール)に変換するのではなく、いつもたいてい撮影モードを「モノクロ」に設定し、最初から白黒写真の被写体としてステージを見ている。
そうは言っても、白黒のロック写真なんて需要はほとんどない。インターネット上はもちろん、新聞などの紙媒体も今はカラー印刷で見せる方が多い。いくら上述のように主張したところで、白黒写真に慣れない人の目には「色という重大な情報が欠落した不完全なもの」としか映らないのだろう。白黒写真は喜んでもらえてないのでは?と、今も私は不安を感じつつ、迷いつつライブハウスに行く。それで時々このように、現場では白黒モードで撮ったのに、家に持ち帰って現像時にカラー画像に戻してみたりする。(たま~に夫から借りて持っていく「ライカMモノクローム」では、その手は使えないけれど。)
色に惑わされず光と影の濃淡だけで、ステージ上のロック・ミュージシャンの姿を写して見せて、どれだけ多くの人に「このミュージシャン、カッコいい、美しい!」と言ってもらえるかが勝負だ。勝負をかけて、写真になんか興味ない人にも「いいね」と言わせるまで、この道を突っ走ってみるしかない。「白黒写真の優位性は、写真ゲージュツのわかる人にはわかる!」なんて、そんな停滞的で、写真家のひとりよがりなセリフ、言えるはずがない。主役は私の白黒写真ではなく、私の写真に白黒で写ってくれるミュージシャンこそが主役だからだ。そして、私は写真家だけど写真の世界が居場所ではなく、私はロックの世界のロック・フォトグラファーだからだ。
最近たまたま本屋で 「色のない島へ」 というタイトルを見つけて手にとった。
オリヴァー・サックス 『色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記』 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫、オリジナルは Oliver Sacks, The Island of the Colorblind, 1996)。劣性遺伝の先天性全色盲が発現する率は世界では3万人に1人だが、南洋のピンゲラップ島ではそれが12人に1人の割合だという。調査のためやはり生まれつき全色盲のノルウェー人生理学者クヌートとともに好奇心全開で島を訪れ、心優しい島民たちと接したオリヴァーは、色の見える者も見えない者も、それを当たり前のことと受け入れて共に生きる美しい世界があることを知って感動する。
続いてすぐ同じ著者の前著、オリヴァー・サックス 『火星の人類学者: 脳神経科医と7人の奇妙な患者』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫、オリジナルは Oliver Sacks, An Anthropologist on Mars: Seven Paradoxical Tales, 1995)も買い、一人めの患者「色盲の画家」のエピソードを読んでみた。ピンゲラップ島と違って後天性全色盲---人間の眼や脳が色を覚知するしくみについての解説を交えながら、その原因を探っていく医科学エッセイだ。(錆びついたブンケー頭の私は難しい箇所は読み飛ばしたが、人間はトシ幾つになっても好奇心があれば、まだまだ新しいことを学べるものだ。)
アーティストとしての人生を一般の人々より強い色彩との関わりの中で築き上げてきたI氏は、65歳の時に自動車事故で大脳の一部に損傷を負い色覚を失う。「色が失われただけではない。現在見えるものは、ぞっとするほど汚らしく、白はてかてかとまぶしいものと褪せたオフホワイト、黒は洞窟のようだった。すべてがあり得べからざる不自然さで、汚れて不純に見えた。灰色の彫像が動きだしたような人間の変わりようも、また鏡に映る自分の姿も堪えがたかった。彼は人づきあいを避け、セックスもできなくなった。・・・・・・」
「わたしたちが見慣れている『白黒』のイメージともちがった不気味な世界で、白黒の写真とはまったく別だった。I氏が指摘したように、わたしたちが白黒写真や映画を見ていられるのは、それがひとつの『表現』であり、好きなときに見たり、目をそむけたりできるからだ。」
苛立ちと絶望の数週間を経て、昇る朝日を見たI氏は「核の日の出」と題する黒と白の絵を描き、抽象画の制作を再開した。真っ赤な朝焼けはすべて黒に変わっていた。「太陽はまるで爆弾のように昇ってきました。巨大な核爆発のようでした。あんな日の出を見たひとがいるでしょうか。」・・・・・・1年後、治療の可能性の提案を意外にもI氏は撥ねつける。
なによりも興味深いことは、頭部損傷後まもない頃にはあれほど強かった深い喪失感、それに不安感や違和感が消えたというか、逆転したようにさえ思われることだ。I氏は喪失感を否定しないし、今でも悲しんでいることは事実だが、色に煩わされずに、純粋な形を見られるようになった自分の視覚が「高度にとぎすまされて」「恵まれた」ものだと感じるようになった。色があるためにふつうは感じとれない微妙な質感や形が、彼にははっきりとわかる。彼は、色に惑わされるふつうの者にはわからない「まったく新しい世界」を与えられたと感じている。もう、色のことを考えたり、焦がれたり、喪失を嘆いたりはしなくなった。それどころか、色盲を新しい感覚と存在の世界への扉を開いてくれた奇妙な贈り物だとすら考えるという。・・・・・・
・・・・・・しばらくは煉獄をさまよったあげく、ようやく彼は---神経学的にも心理学的にも---色盲の世界に落ち着いたのだ。
絵のことでいえば、一年あまりの実験と模索のすえに、I氏はそれまでの芸術家としての経歴に勝るとも劣らない力強い生産的な段階を迎えた。白と黒の絵は非常に好評で、創造的な再生を果たして驚くべき「白と黒の時代」に入ったと言われた。この新しい段階が、芸術的な展開だけではないこと、悲劇的な喪失によってもたらされたものであることを知っているひとは少ない。
「色盲の画家」---オリヴァー・サックス『火星の人類学者』(吉田利子訳)より